8月12日 [徒然母さん独り言]
1985年8月12日未明 我が家
主人の祖母が亡くなり 義母に深夜たたき起こされ眠ることなく夜明けを迎えた
この年、末息子が産まれ ちょうど3ヶ月が過ぎた頃、暑い夏だったのだろう 急に祖母が寝付き始めた
それでも、乳飲み子の育児に追われる私は、まだまだ元気でいてくれると信じていた
お盆に入った頃に食欲が落ちたことで実家に「末息子を預かってほしい」と告げた
母が迎えに来てくれたのが幸いした。その2日後に祖母は亡くなったのだから
その頃は家で通夜をするのが普通で客人を迎えねばならなかった
ところが喪主を務めねばならぬ主人は仕事の都合でアメリカにいた どうにか連絡はついたが帰国は、ならない
結婚して初めての葬式をどのように行えばよいのか何もわからず親戚の人たちに委ね終了した
主人は同じ12日にシアトル空港であの事件を知ったそうだ「JAL123便行方不明」
帰国便はJAL 無事に帰国できますようにと願った記憶がある
しかしあの便に 同僚が乗っていて 葬式の時 身重の奥さんが痛々しかったとも聞き 辛い年にもなった
今日はあの日から30年 くしくもお寺さんのお参りが今日あった 合掌
毎年この日が来るとあの飛行機事件とともに我が家では祖母を偲ぶ日になっている
堅い話になってしまいました 私らしく明るい(説教くさい^^;)話で〆たいと思います
今の若者はという話
嫁のお父さんがリタイア後にご近所さんと始めた野菜作り
むっちゃんに食べさせたくて こんな大きなスイカを作ったというのに
「僕ら スイカ 食べないからどうぞ」と持ってきた 全長28cm 老人3人で食べるには無理があるというのに
何故、彼らはスイカを食べないのだ
「種を取るのがややこしい」「水物はどうも好きじゃない」
これは息子達だけでなく 近頃の若者達はスイカを嫌う傾向にあるらしい
ばかもん
冷やしてスイカの種飛ばして食べる それが、どれだけご馳走だったか知らぬのか
メロンも好きじゃない バナナも 葡萄も種あるし
終戦70年 この国の若者は 贅沢に慣れてしまったのか それとも親である私たちがこのようにしてしまったのか
美味しさを知らさねばならぬのか? 夏を象徴する果物が 何処か遠くへおきざられて行くのが寂しい
大きなスイカは 甘くて美味しかったのを付け加えて終了だ
今回はつまらないお話と相成りまするゆえコメント欄は閉じます